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いろいろ ヤマモトサオリ

他人に合わせて生きてきた私が、自分を取り戻す話①

最近、職場で上司から「ヤマモトさんは自分が無いよね。他人軸で生きている」と言われました。

「仕事だからお客様に営業をかける。上司に言われたから受注を取る。
それは当然その通りなんだけど、そこにヤマモトさんの意思はないよね。ヤマモトさんはどうしたいの?」と。

そのとき、正直何を言われているのかわかりませんでした。

この仕事が好きなわけでもないし、目標があるわけでもない。
ただ、それなりのお給料がもらえればいい。仕事だから、与えられた仕事をする。みんなそうじゃないの?と思ったのです。

けれど、その言葉はものすごい鋭さで胸に刺さり、これまでの人生を振り返るきっかけになりました。
そして、数年前に作って放置していたこのサイトを、立て直そうと思った理由にもなったのです。

「自分が無い」と言われた衝撃

職場でミスをしたとき、上司から「どうしてこうなった?」と問われました。
けれど、自分でもよくわからなくて、曖昧なことしか答えられませんでした。

そのときに言われたのが、前述の「ヤマモトさんは自分が無いよね。他人軸で生きている」という言葉でした。

実はそれ以前にも、「これからこの職場でどうしていきたいか。3年後、この職場でどんな自分になっていたいか」と聞かれたことがあります。
そのときも私は、はっきりと答えることができませんでした。

たしか「今の与えられた仕事を頑張っていきたいです」といった、当たり障りのないことを口にした気がします。
けれど正直、その内容すらあまり覚えていません。

私にとっては、それが「普通」でした。
人の心なんて読めないのだから、無難なことを言っておけば、それが本心だと思ってもらえるだろう。
どこかで、そんなふうに思い込んでいたのかもしれません。

だから今回「自分が無い」「他人軸で生きている」と言われたとき、見透かされたように感じて、大きなショックを受けました。

本当にその通りだと思いました。
私はいつも他人に合わせてばかりいます。
相手が損をするくらいなら、自分が損をした方がマシだと思ってしまうほど、自己犠牲の傾向があります。

相手の反応が怖くて、自分の意見をはっきり言えません。
私生活では、相手に尽くしすぎて振られたこともあります。笑

そして、当たり障りのない言葉は本心ではないからこそ、自分が何を言ったのか覚えていないのではないか。
仕事でのミスも、自分軸を持たずに行動しているせいで流れ作業のようになり、肝心な場面の記憶が抜け落ちているのではないか。

考えれば考えるほど、上司の言葉は核心を突いていると感じました。

そのとき、自分がどうしようもなくダメな人間に思えてしまいました。
何か改善のヒントはないか。もしかして自分は発達障がいなのではないか。

そう思って人生を見つめ直す中で、「アダルトチルドレン」という言葉に辿り着いたのです。

アダルトチルドレン

実はこの「アダルトチルドレン」という言葉、私は以前にも心療内科で言われたことがありました。

東京で働いていたころ、仕事に行こうとすると急に体調が悪くなったり、朝起き上がれなかったり。
電車に乗っているときに強烈なめまいや吐き気に襲われ、立っていられなくなることもありました。

そんな状態が続き、心療内科に通っていた時期があったのです。
そのときに「アダルトチルドレン」と告げられました。

ちなみに…
「アダルトチルドレン」とは、もともと機能不全な家庭で育った子どもが、大人になってもその影響を抱えて生きている人を指す言葉だそうです。
親の言動に過剰に合わせたり、自分の気持ちを押し殺したりして育った経験が、大人になっても心のクセとして残ってしまうのだとか。
病名ではなく、生きづらさを理解するための概念として使われているようです。

けれど、喉元過ぎれば熱さを忘れるというように、別の職場に再就職してからは一気に元気を取り戻し、心療内科にも行かなくなってしまいました。
その言葉のことも、すっかり忘れていました。

もちろんその後も、生きづらさは無くなりませんでした。
死にたくなるような日もたくさんありましたが、病院に行くこともなく、ただ漠然と苦しい日々を過ごしていました。

昨年、離婚してフリーダムになってからは精神的にも安定し、仕事も順調で、「これからが楽しい人生の再スタートだ!」と思っていました。

そんな矢先に、仕事でミスが発覚し、冒頭の「自分が無い」「他人軸で生きている」という言葉に繋がります。

傷つけた言葉、救った言葉

私は物心がついたときから、母から言葉の暴力を受けて育ってきました。

「あんたなんか産まなきゃよかった」「子どもに人権はないんだよ」「親に逆らうな」「作るつもりなかったのにできた」「あんたがいると腹立つ」「お母さんを怒らせる天才だよね」
そんな言葉を、毎日のように浴びせられていました。

機嫌が悪いときはもちろん、機嫌がいいときでさえ、冗談めかして「ほんと育て方間違えた」「クソの役にも立たない女」と言われることもありました。

母は地雷がどこにあるのかわからないタイプで、機嫌良く話しているかと思えば、急に激昂することもありました。
まるで瞬間湯沸かし器。

身体的な暴力は、たまに平手打ちをされる程度でそこまで酷くはありませんでした。
ただ、一度だけ裸にされて掃除機で殴られたことがありますが😅

ネグレクトではありませんでしたし、家族でキャンプに行ったり、誕生日を祝ってもらったり、楽しい思い出もたくさんあります。
母にもいいところは確かにあります。
世の中にはもっと過酷で寂しい幼少期を過ごした方もいることもわかっているので、「たかがこの程度で辛いなんて」と言われるかもしれません。

けれど、先日初めて友達にこの話をしたときに言われた言葉が忘れられません。
「それってDVする男と同じ!典型的なモラハラだよ!言葉の暴力で心をズタズタにした後に、優しい言葉をかけたりプレゼントを渡したりする。
そのせいで『DV男でも、あの人にもいいところはあるの』って言っちゃう可哀想な女と同じことを、あんたは小さい頃から母親にされてるの!」

その言葉を聞いて、本当にその通りだと思いました。
胸にストンと落ちて、これまでの経験を言葉にして発信していこうと決意したのです。

同じように育った誰かへ

きっと、私のように幼少期につらい思いをしながら育った人は少なくないと思います。
ニュースになるような酷い虐待を受けたわけではないし、楽しい思い出だってたくさんある。
けれど、親の顔色をうかがいながら、たくさん傷ついて育ってきた人たち。

傷ついた過去を消すことはできません。
けれど、その経験を言葉にすることで、私は少しずつ自分を取り戻していける気がしています。

そして、この文章が、ここまで読んでくださった方にとって小さな気づきになれたら嬉しいです。