本を読むのが大好きなのに、読みたいのに、なかなか集中できないゾーンに入ってしまうことってありませんか?
ヤマモト自身、まさにそんな状態に陥っていました。
今回は本紹介の記事ではあるのですが、少し趣向を変えて、ヤマモトの体験談を交えながら書いてみますね!
▶︎ 本が読めなくなった
私は読書が大好きで、かつては朝から晩まで夢中になってページをめくっていた時期もありました。
けれど気づけば、本を読まなくなって数年が経っていました。
「また本を読みたい」と思い、積読の中からミステリー小説を手に取ってみました。
けれど、以前のように物語の世界に入り込むことができません。
過去に面白かった本ならどうだろうと再読を試みても、集中できず、ただ活字を目で追っているだけ。
かつて感じた面白ささえ思い出せませんでした。
もともと私は「この本を読む!」と決めたら、どんなに難解でも、どれだけ時間がかかっても必ず最後まで読み切る!
そんなポリシーを大切にしてきました。
ところが、この1年ほどはそのポリシーすら守れず、3分の1〜半分くらいで手を止めてしまうことばかり。
「これはちょっと重症かもしれない」と思わざるを得ませんでした。
▶︎ 原因は
私の場合、私生活でいろいろなことが重なったのが原因だったように思います。
家族が突然亡くなり、仕事では一番忙しい部署へ異動となり、さらに夫との離婚が決まり、引っ越しまで考えなければならなくなりまして。
仕事中は常に気を抜けない状況で、その反動からプライベートではどこか上の空でした。
夜中の2〜3時に目が覚め、そのまま浅い眠りのまま朝を迎えて起床する毎日が続きました。
当然のことながら、小説を楽しく読むような心の余裕はありませんでした。
▶︎ 自分の悩みに沿ったテーマの本を読む
私はもともと小説や本当にあった事件などを題材にしたノンフィクションなどが好きです。
けれど、心に余裕がなく、常に悩みや迷いを抱えている状態で小説やノンフィクションを読もうとしても、内容が頭に入ってこないのは当然でした。
そんなとき、ふと本棚に収納されていた一冊を見つけました。
それが 『ブッダが教える執着の捨て方』(著者:アルボムッレ・スマナサーラ) です。
見つけた瞬間、「今読むべき本はこれだ!」と直感しました。
この本を購入したのは5〜6年ほど前だったと思います。
当時もそれなりに悩みを抱えていたはずなのに、結局は読まずに小説ばかりを読んで過ごしていました。
今回は積読が山ほどある状態で、新しい本を買う気にもなれず、本屋にも足を運んでいなかったので、
「買っておいて良かった」と思いました。
▶︎ 腑に落ちない点
とはいえ、良いことばかりが書かれているわけではありません。
全体を通して学びは多かったのですが、どうしても腑に落ちない部分もありました。
たとえば「悲しみの進化は、怒りと恨み」という章では、医療ミスで子どもを亡くした親が裁判を起こす例が紹介されています。
ある親は慰謝料を受け取り、怒りと恨みという執着を「多額のお金」という別の執着にすり替えただけだと、かなり厳しい書かれ方をしていました。
一方で、別の親は慰謝料を受け取らず全額を寄付したことで、悲しみや怒りの執着をきちんと捨てられていると評価されていたのです。
この慰謝料のたとえ話について、私はどうしても賛同できませんでした。
「怒りや恨みは執着」「お金が欲しいと思うのも執着」という、著者の言いたいことはわからなくはありません。
けれど、慰謝料を受け取ること自体がまるで悪いことのように書かれているのは、正直なところ苦手だと感じました。
▶︎ 慰謝料は執着なのか
子を亡くした親の例とは並べて語ることはできませんが、私自身も離婚のときに慰謝料の件で揺れた経験があります。
結婚生活は経済的に苦しく、元夫は家庭にお金を一切入れてくれない人でした。
離婚が決まったとき、せめて引っ越し代くらいは出してほしいと「30万円ほど」お願いしたのですが、元夫やその家族から「がめつい」と責められてしまい、結局お金を受け取ることはできませんでした。
ちなみに、このときは私の親も出てきて「弁護士をつける!」と更なる一悶着がありました。それはまた機会があれば書きますね🙃笑
結局、私は心が折れて、お金を請求せずに終わりました。
本音を言えば、私がそれまでに負担してきた額は30万円どころではありません。
けれど、これ以上争っても疲れるだけだと感じ、「早く縁を切ること」を優先したのです。
慰謝料請求しなかったことで、本書によると「執着の手放し」ができている部類に入るのかもしれません。
けれど実際は、私は今でも元夫を根に持っていますし、お金を請求せずに早急に終わらせたことは後悔していないものの、モヤモヤが完全に消えることは一生ないと思います。
この経験を通して思うのは、慰謝料とは決して執着ではない、そして慰謝料を請求しないことが必ずしも「正しい」わけではないということです。
むしろ「これまでの不均衡を少しでも正すための落としどころ」であり、「前に進むための整理」として必要なものだと、私は考えています。
▶︎ 執着について考える
本書では、嗜好品も執着、誰かを想う気持ちも執着、そして喜怒哀楽の感情すら執着から生まれるものだと書かれていました。
さらに「自分が存在している」という考えそのものも、自我への執着なのだそうです。
もし本当にあらゆる執着を手放すことができたら、心は楽になるのかもしれません。
けれど同時に、「果たしてそんな人生は楽しいのだろうか」という疑問も浮かびました。
私には答えは出ませんが、人としての大切な何かを失ってしまいそうな気もしたのです。
そもそも私は「執着心を捨てれば心が豊かになる」とどこかで聞き、その言葉に惹かれて本書を購入した記憶があります。
だからこそ読み進めながら「なるほど」と納得する部分もあれば、「本当にそうなのだろうか」と迷う部分も多くありました。
▶︎ それでも読んでよかった
小説の世界に没頭するということは、登場人物の人生を垣間見て、悩みがあれば共に悩み、喜怒哀楽を共有することだと思います。
でも、自分のことでいっぱいいっぱいなときに、他人の人生に寄り添うなんて難しい話です。
現実逃避をしたくて小説を開いても、文章の端々から仕事のやり残しや自分が抱えているモヤモヤを思い出してしまい、現実に引き戻される。
そんなことの繰り返しでした。
その点で、本書のような本は宗教的な色合いが強く、正直苦手に感じる人もいるかもしれません。
私自身も理解できない部分や、納得できない例え話はありました。
けれど、この本はもともと自分の悩みに沿ったテーマの1冊だったので、現実と切り離すのではなく、むしろ「現実と隣り合わせ」で読むことができました。
小説のように物語に没頭して現実から逃げるのではなく、悩みを抱えた自分の視点でそのまま受け止めながら読めた。
だからこそ、活字を追う感覚が少しずつ戻っていったのだと思います。
読書は知識や感情を得るだけでなく、習慣や慣れの側面も大きいのだと改めて気づきました。
理解しきれないところがあったとしても、「それでも読んで良かった」と今は思います。
本に没頭できなくても、こうして一冊を読み切れたこと自体が、私にとってのリハビリになったのだと思います。
▶︎ おわりに
実は、過去にも本が読めなくなった時期がありました。
そのときは短編集や短編小説に救われたこともあります。小説が助けになった経験もあるのです。
今回は自己啓発書でしたが、状況や心境によって「助けになる本」は人それぞれ違うのだと思います。
悩みを抱えている方にとって、本を選ぶことが自分を助けるきっかけになれば… そんな思いで、これからも本を紹介していきたいです。
books and iinedays では、これからも書評を更新していきます。
どこかで誰かの読書リハビリや、毎日を支える小さな気づきになれば嬉しく思います。