こんにちは!ヤマモトサオリです。
本好きの方なら、積読本をたくさん抱えている人も多いのではないでしょうか。
買ってから何年も手つかずのまま、というのもよくある話です。
どこで手に入れたか思い出せない本もあれば、出会った瞬間を今でもはっきり覚えている本もありますよね。
今回ご紹介するのは大長編小説、『告白』(著者:町田康)です。
実はこの本、購入したのはかなり前のことで、長いあいだ本棚で眠らせたままになっていました。
買った日のことはよく覚えています。
書店で他の本に紛れるように置かれていた一冊で、その白い表紙が目に留まったのがきっかけでした。
当時は「骨太な長編を読んでみたい」という気分だったのですが、結局そのまま読むことなく、時間が過ぎていきました。
そして先日、書店で、表紙全体が黒い帯で覆われた『告白』を見かけました。
中央公論新社の新入社員の方による熱い推薦文がとてもおもしろくて興味を惹かれ、ようやく読むタイミングがきたのだと感じました。
こんな人におすすめ!
・分厚い長編でもテンポよく読みたい人
・実際の事件を題材にした小説に興味がある人
・人間心理を深く描いた物語を探している人
あらすじと補足
本作は、明治二十六年(1893年)に大阪・河内地方で実際に起きた「河内十人斬り事件」を題材にした物語です。
この事件は、地元の盆踊り歌である「河内音頭」の定番演目として、今も歌い継がれています。
本作は2005年に単行本が刊行され、第41回谷崎潤一郎賞を受賞しました。
文庫版の解説は、作家の石牟礼道子さんが書いています。
主人公の城戸熊太郎は、酒と博打と女に明け暮れる無頼漢。
まともに働くこともなく、周囲に迷惑をかけながら生きているような人物です。
それでいて、ふとした場面で思慮深さや根の優しさがのぞき、どうにも憎みきれない存在感があります。
熊太郎は、頭の中ではあれこれと深く考えているのに、それをうまく言葉にして周囲に伝えることができません。
この「思っていることと、口から出る言葉が噛み合わない」もどかしさが、物語全体を貫く大きなテーマになっているように感じました。
熊太郎は、弟分の谷弥五郎とともに、恋や金にまつわる恨みを晴らそうとし、やがて十人を斬り殺すという凶行に走ります。
ただ、そこに至るまでの経緯は決して短絡的なものではありません。
熊太郎なりの理屈や、積み重なった感情が丁寧に描かれていきます。
ところどころ下品な表現も出てきますが、それがかえって人間味を感じさせる部分でもあります。
取り繕わない言葉づかいだからこそ、熊太郎という人物の生々しさが際立っているように思います。
ちなみに、露骨な性描写はほとんどありませんが、流血や暴力などの残酷な場面は多めです。
しかしながら、ユーモラスな語り口のおかげで、重苦しさは感じませんでした。
印象に残った場面
育て方
作中に、「ちやほや育てると、あほのくせに自分はかしこいと思い込む自信満々のあほが誕生する。罵倒されて育つと、おのれの身の程を弁え、なにくそと思う気持ちがちょうどよくブレンドされていい感じに育つ」という一節が出てきます。
私自身は、どちらかというと「罵倒されて育った側」に近いので、この考え方には素直に頷けませんでした。
「なにくそ」という反骨心は、確かに育ったかもしれません。
けれどその一方で、「身の程を弁えすぎて、自分を大事にできない」感覚も強く残っている気がします。
何かを頑張っても、最後に「どうせ自分なんて」と一歩引いてしまう癖は、今もふとした瞬間に顔を出します。
結局、ちやほやも罵倒も、どちらかに偏りすぎると歪みが残るのだろう、というのが正直な感想です。
理想を言えば、認められる経験と、現実を思い知らされる経験の両方が、ちょうどいい配分で必要なのかもしれません。
子育ての経験はないので、あくまで一読者としての感想です。
それでも、育てられた側の実感として、この一節はやけに心に刺さりました。
女性が着飾る理由
作中には「女が美しく装いたいのは自分が良い気分になりたいからである。他人が美々しく装った自分をみて美しいと思うのが気分がよいのである。 しかしたとえば自らの意思に反して売色を強要され、その際、嫖客の気分を盛り上げるために美々しく装うというのはこれは情けない話であろう」という記述があります。
私にも、恥ずかしながら思い当たる経験があります。
自分のためにオシャレを楽しむのではなく、彼氏や特定の誰かのために綺麗になろうとしたり、相手の機嫌を取るために自分を後回しにしてしまったり。
結果として、かえって引かれてしまったこともありました。
もちろん、作中の「情けない」は、意に反して着飾らされる状況を指していて、私の場合とは重さがまったく違います。
それでも、「自分のためではなく、誰かに合わせるために装う」という点では、どこか通じるものを感じました。
若い頃はそこに気付けなかったな… と思いながら、しみじみ読みました。
読点リズムと河内ことば
読んでいて最初に引っかかったのは、読点の打ち方でした。
普通なら読点を入れそうな箇所に入っておらず、逆に予想外の場所に打たれている。
それなのに、不思議と読みにくさは感じません。
むしろ、息継ぎのタイミングを著者に委ねているような、独特のグルーヴが文章に生まれているように感じました。
慣れるまでは戸惑いもありましたが、途中からはそのリズムに乗って読み進めるのが心地よくなっていきました。
舞台は、安政〜明治期の河内国石川郡赤阪村字水分(みくまり)、現在の大阪府南河内郡千早赤阪村です。
登場人物たちが話すのは「河内ことば」と呼ばれる濃いめの関西弁で、お笑い芸人・小籔千豊さんの話し方が頭に浮かびました。(あくまで私のイメージです)
方言が強く出るのは主にセリフの部分で、それ以外の語りの文章は、ほぼ標準語で書かれています。
分かりにくい言い回しが出てきても、語りの文章がすぐにその意味を補ってくれたり、現代の「あるある」に例えて説明してくれたりします。
そのおかげで、関西弁に馴染みのない私でも戸惑うことなく楽しめて、長編にもかかわらず、テンポよく最後まで読み切ることができました。
総評
最初から最後まで、とにかく読み応えのある一冊でした。
文庫で約850ページ(解説込み)に及ぶ長編ですが、熊太郎の幼少期から弥五郎との出会い、そして凶行に至るまでが丁寧に描かれていて、気づけば一気に読み進めていました。
単なる凄惨な事件としてではなく、一人の人間がそこに至るまでの過程として読めるところに、本作の奥行きを感じます。
個人的に一番気に入っているのは、「弥五郎は、殺す奴は必ず殺す、と嘯きつつ、飯を食いつつ、仕込杖を振り回しつつ、屁をこくなど元気一杯であった」という一文です。
下品だけど、なぜか無性にツボに入ってしまい、同じ箇所を何度も読み返していました(笑)
熊太郎の思想や妄言、現実離れした描写には、共感できる部分とまったく理解できない部分が同居しています。
人の心理というのは実際掴みどころのないものですし、その複雑さをユーモラスに、時に容赦なく描き切っているところに、この作品の魅力があると思います。
文体は好みが分かれるところかもしれませんが、それも含めて強く印象に残る一冊でした。
気になった方はぜひ手に取ってみてくださいね。
🎧️ 本作はAudibleでも配信中!(2026年9月追記)
9月4日から、本作のAudible版が配信されています。
ナレーターは五郎助也さん、再生時間は24時間31分です。
河内ことばの独特なリズムや掛け合いは、耳で聴くとまた違った味わいがありそうです。
大長編なので、通勤や家事の合間に少しずつ聴き進めたい方にもおすすめです。
